何の因果か、またまた大寒波襲来の日と重なってしまった土曜歌声。 この日伏見に向かう地下鉄の中で、1通の悲しいメールを受け取りました。 昨年の5月までずっとラウムの常連でいらしたKさんの訃報を知らせるものでした。 おそらく男性陣では最高齢でしたが、ラウム草創期からのお客様で、土曜歌声にも欠かさず来て下さっていました。
出されるリクエストがほぼ335歌集からの若い世代のもので、Kさんの番になると、何も仰らない前から皆さん335を用意されていたものです。昨年、もう夜の外出は自信が無くなった、とのことで土曜歌声を卒業されました。残念でしたがお歳のこともあってご無理はさせられない、と思いましたが、Kさんのお好きだった曲がリクエストされると話題にさせて頂いたりしていました。
今年の1月26日に久しぶりにKさんからメールを頂き、それも全文英語で書いてあったのですが、その時に初めて老人施設にいらっしゃることを知りました。 それでもお元気でいらっしゃるものとばかり思って、私も英語でお返事メールを差し上げましたが、その日からわずか10日余りの2月6日に亡くなられたとのことでした。 奥様のメールによれば『大好きだったラウムの歌集と英語の勉強ノートと共に旅立った』と。 本当にラウムを愛して下さった方でした。
土曜歌声の冒頭にこの悲しいお知らせを皆さんにお話ししました。 ファーストソングには、Kさんがリクエストされていた「私の愛した街」を選んで歌い、この日はKさんを偲ぶ歌声サロンとなりました。
リクエストは「春の日の花と輝く」 原曲はアイルランドの古い民謡「My Lodging It is on the Cold Ground (我が家は冷たき土の上)」で、そのメロディにアイルランドの国民的詩人トーマス・ムーアが、『Believe Me, If All Those Endearing Young Charms』と云うタイトルで歌詞を付けました。
いろんな詩が付けられて歌われているそうですが、日本語歌詞は堀内敬三による訳詞が優しい曲調に良く合っています。
「野に咲く花のように」 ダ・カーポの代表作の1つですが、麗らかな陽射しが感じられる様な曲調で、歌っていると優しい気持ちになれる気がします。
「北風小僧の寒太郎」 この日は正に北風が吹き荒れる天候でしたが、この曲はユーモラスな歌詞が寒さを感じさせませんね。 『かんたろ〜!』の掛け声は、Mr.Mが様々に声色を変えて受け持ってくれました。
「春一番」 キャンディーズのヒット曲。 元気に歌って明るい気分になりました。
『もうすぐ 春ですね〜』と歌っていた通り、この翌週にはいきなりの春がやってきたのですが… 実際に『春一番』が吹くのはもう少し先でしょうね。
「虹と雪のバラード」 札幌で冬季オリンピックが開催されたのは1972年ですから、もう53年も前のことになるのですね。 トワ・エ・モアの歌ったこのテーマ曲には、『札幌の地』と歌詞にも入っているので、札幌開催のオリンピックを国民がどんなに喜んでいたのか解ります。 その後も何度か札幌でのオリンピック招致を希望してきたのですが、残念ながら実現していません。 いつかまた『札幌の地』にこの歌が響く日が来ると良いですね。
「追憶」 スペイン民謡となっていますが、原曲の楽曲は特定されていないようです。
アメリカでは、このメロディに「Flee as a bird 」と歌詞が付けられて、讃美歌・聖歌として歌われており、ニューオーリンズでは黒人の葬送の際によく演奏されるそうです。
日本では、1890年の大和田建樹による「月見れば」、1919年の『惟一倶楽部』名義の「故小妹(こしょうまい)」として発表されていますが、1939年に、明治大学教授の古関吉雄が「追憶」と題して『星影やさしく またたくみ空』で始まる歌詞を発表して後は、これが学校教科書に取り入れられ今日まで歌われてきました。
「灯台守」 原曲は一般的に『イギリス民謡』とされていますが、典拠は不明のようです。 アメリカの讃美歌「It came upon the Midnight Clear」や、日曜学校で歌われた「The Golden Rule」が原曲であると云う説もあって、いずれもメロディはそっくりだそうです。
日本では、1889年(明治22年)に出版された『明治唱歌第三集』に、大和田建樹の作詞による「旅泊」として掲載されたのが最初で、続いて1906年(明治39年)に出版された『高等小学校(一ノ下)』に、佐々木信綱の作詞による「助船」として掲載されました。
1947年(昭和22年) 、文部省発行の教科書『五年生の音楽』に、勝承夫の作詞による「とうだいもり(灯台守)」として掲載されたものが今日歌われている曲です。 小学校で習った歌というものは、いくつになってもスラスラ歌えるものですね。
『灯台』からの連想で…という訳では無いでしょうが、お次のリクエストは「襟裳岬」
作詞 岡本おさみ、作曲 吉田拓郎のフォークシンガーの曲を、演歌の森進一が歌ったことで一大センセーションを引き起こしました。
『言葉の乗せ方が独特の拓郎節を、森進一がどのように歌うのか?』も話題になったそうですが、拓郎自身は森進一の歌い方に感動して脱帽だったとのことです。
叙情フォークは演歌と通じるものがあり、この後、歌謡曲、演歌、アイドルの歌手に楽曲を提供するフォークやニューミュージックのアーティストたちが続々と出てくることになるのです。
拓郎もこの曲をセルフカバーしていますが、森進一の切々と言葉を紡いでいく歌い方とはまるで違い、軽く淡々と歌っていますが、どちらも甲乙付けがたい味わいがあります。
「ピクニック」 『丘を越え 行こうよ〜』で始まり、途中いろんな動物たちも出てきて鳴き声も愉快なこの曲、イギリス民謡となっていますが、元はアメリカ黒人民謡「She’ll Be Coming ‘Round the Mountain」と云う曲で、さらにこの曲の起源は黒人霊歌を元に登山家たちが口ずさんでいたものとされています。
日本語の『ピクニック』は、もとはフランス語『pique-nique』からきていて、その昔、牛飼いや羊飼いが『nique(ささいなもの)』で食事をとるために休憩したことから生まれた言葉のようです。
「影を慕いて」 古賀政男メロディの美しさが余すところなく出ている名曲です。高音部のファルセットも素晴らしく、リクエスト者のリードで歌いました。
「坊がつる讃歌」 この曲も当サロンでは人気があって度々リクエストされます。哀切を帯びた旋律はどこか郷愁を誘い、歌っていると懐かしい想いに包まれる様です。
広島高等師範学校の山岳部第一歌「山男の歌」をベースにしているそうで、どの歌詞にも『山男』の言葉が入っていますが、山男の猛々しさはどこにも感じられず、穏やかな曲調です。
リクエスト一巡したところで、もう1曲私から紹介させて頂いたのは「糸」 中島みゆき作詞 作曲の名曲ですが、この曲は人と人との出逢い、縁(えにし)を描いています。
この歌声サロンで図らずも巡り逢えた皆さんとのご縁を大切に思い…特にこの日はKさんの訃報に接したこともあって、よりいっそうそのご縁に感謝して歌いました。
ここで前半終了。
後半の紹介曲は「PRIDE」 今井美樹のヒット曲で、ドラマ『ドク』の主題歌でした。 作詞 作曲は、後に今井美樹の夫になる布袋寅泰。 いかつい風貌からはとても想像つかない優しく切ないこの曲は、亡きKさんもお気に入りでした。 この日はKさんを思い出しながら、いつも座っていらした席(その日は空いていました)を見ながら歌いました。何となくいつもの席にKさんがいらしていた様な気がしました。
リクエストは「悲しくてやりきれない」 「イムジン河」が発売自粛となって、それに代わる曲を急遽依頼された加藤和彦が、フジパシフィックの会長室にほぼ軟禁状態の中、2〜30分で作った曲に、サトーハチローが打ち合わせも無く書いた詩がぴったり合って出来上がったのがこの楽曲です。
「さびしいカシの木」 作詞のやなせたかしの生い立ちにも関係している歌詞のようで、やなせたかし自身が『“さびしい” という感情は、私たちの生命の本質に根ざしているのではないだろうか。』と語っています。 そこから彼は『人間の存在は本来 “さびしい” ものなのである』と云う人生観を持っている様に思われます。
晩年『さびしいことに なれてしまった』このカシの木は、それでも凛とした孤高の姿を感じさせてくれます。
次期の朝ドラ『あんぱん』は、やなせたかしとその妻の物語だそうで、『アンパンマン』を想起させるタイトルです。
「インシャラー」 この曲は当サロン男性陣の人気曲ですが、元はサルヴァトーレ・アダモが、1966年平和への願いを込めて作った楽曲です。
『インシャラー』は『それが神の思し召しなら』と云う意味だそうで、イスラム教徒の頻出ワードでもあります。 聖典コーランには、未来の約束をする時には『必ず言うように』と書かれているそうです。 エルサレムの地に真の平和が訪れるのも『神の思し召し』次第なのでしょうか?
「私の彼は左きき」 1973年リリースの麻丘めぐみのシングルで、彼女の代表曲ですが、ラウム土曜歌声ではおそらくお初リクエストでした。 それでも皆さんよくご存知で、左手をヒラヒラさせながら歌われている方も👋
この曲がきっかけで、それまで若干肩身のせまい思いをしていた左利きの人が市民権を得て、左利き用品も多数販売されるようになったそうです。 左利きの人って器用な人多いですよね٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
「友だちはいいもんだ」 リクエスト者の私の同級生にリードしてもらって歌いました。
知り合った人が全て『友だち』になれるかと言ったら、それは難しいかも知れません。『友だち』の概念も人それぞれ違うでしょうし… でも、『ご縁』のある方とはいつしか『友だち』になっているものだと思います。
「さらば恋人」 これも度々リクエストされる曲ですが、反ファシスト党運動においてイタリア・パルチザンによって歌われた歌曲です。
20以上の言語で歌われてきて、今日では、圧政から解放されると云う固有の権利を象徴する歌になっています。
日本では、東京大学音感合唱研究会の日本語訳で歌詞が作られて、1950〜1960年代には歌声喫茶で歌われました。
「春の唄」 『ラララ 紅い花束 車に積んで…』で始まる、明るくはずむような曲調のこの歌。 春の訪れを心から喜んでいる気持ちが伝わってきますね💐
私は春生まれなので、季節の中ではもちろん春が一番好きです。 『花束を積んだ荷車がやって来る時代っていつなんでしょう?』と思い、調べましたら、この曲は1937年(昭和12年)に『国民歌謡』の1つとして発表されたそうです。 柔らかい陽射しまで感じられそうな1曲です。
「サン・トワ・マミー」 ベルギーの歌手サルヴァトーレ・アダモが1962年に19歳で発表した曲で、日本では岩谷時子の歌詞による、越路吹雪の歌唱でよく知られています。 失恋の歌ですが、ミディアムテンポで軽やかな曲調です。 原曲「Sans toi ma」の意味は、『あなたなしでは』だそうです。
「しあわせ芝居」 これもおそらく土曜歌声ではお初リクエストと思われます。
1977年に、中島みゆきが作詞 作曲を手掛け、『花の中3トリオ』の1人 桜田淳子が歌いました。 後に、研ナオコや中島みゆき本人も歌っていますが、淡々と綴られる歌詞には、女性のひとり芝居の雰囲気も感じられ、退廃的で不思議な感覚に陥ります。
初めて歌ってみたのですが、後で音源を聴いてみたら、音はうろ覚えでしたし、テンポももう少し速いことが判りました。とても素敵な曲なのでまた歌いたいと思います。
「千の風になって」 『Kさんを追悼して…』とリクエスト者のお言葉とリードで、皆さん心を込めて歌って下さいました。
「街の灯り」 1973年リリースの堺正章のシングルで、伝説的ドラマ『時間ですよ』の挿入歌として使われました。
作詞 阿久悠、作曲 浜圭介のヒットメーカーが手掛けて、同年の日本レコード大賞では、作曲賞を受賞しています。 『そばに誰かいないと…』と穏やかに始まる曲ですが、サビでは徐々に盛り上がって『そっといった〜』と歌い上げる緩急に富んだ曲調が素敵です。
「愛燦燦」 作詞 作曲を小椋佳が担って、美空ひばりが歌い大ヒットしたこの曲も当サロンでは人気曲のひとつです。
『味の素』のCMで流されたのですが、最初は美空ひばりの名前がクレジットされていなかったので覆面シンガー扱いだったみたいです。 声質からすぐに判明するのですが、『歌謡界の女王』美空ひばりの歌唱力を改めて示すエピソードになっているそうです。
太陽の光が降り注ぐ様の『燦燦』を、愛が惜しみなく降り注がれる様に置き換えて「愛燦燦」と表したのではないでしょうか? 『過去達は 優しく睫毛に憩う』などの表現に、小椋佳のワードセンスを感じずにはいられません。
この日はしんみりとした曲が多くリクエストされたのですが、最後は元気よく「また逢う日まで」でお開きとしました。 (きっとまた逢える、と信じながら…)
次回は3月8日。 この日まで冷たい風が吹く寒い日が続くそうで、このところ土曜歌声は嫌がらせのように寒い日に当たっています🥶
それでも春を呼び込む気持ちで歌いたいと思います♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
ご参加を心より願っています。 くれぐれもご無理はなさらない様に!
神田陽子