2025年3月8日土曜日
土曜夜の歌声サロンラウム~2月22日のご報告~ 神田陽子

  何の因果か、またまた大寒波襲来の日と重なってしまった土曜歌声。 この日伏見に向かう地下鉄の中で、1通の悲しいメールを受け取りました。 昨年の5月までずっとラウムの常連でいらしたKさんの訃報を知らせるものでした。 おそらく男性陣では最高齢でしたが、ラウム草創期からのお客様で、土曜歌声にも欠かさず来て下さっていました。

 出されるリクエストがほぼ335歌集からの若い世代のもので、Kさんの番になると、何も仰らない前から皆さん335を用意されていたものです。 
 昨年、もう夜の外出は自信が無くなった、とのことで土曜歌声を卒業されました。残念でしたがお歳のこともあってご無理はさせられない、と思いましたが、Kさんのお好きだった曲がリクエストされると話題にさせて頂いたりしていました。
 今年の1月26日に久しぶりにKさんからメールを頂き、それも全文英語で書いてあったのですが、その時に初めて老人施設にいらっしゃることを知りました。 それでもお元気でいらっしゃるものとばかり思って、私も英語でお返事メールを差し上げましたが、その日からわずか10日余りの2月6日に亡くなられたとのことでした。 奥様のメールによれば『大好きだったラウムの歌集と英語の勉強ノートと共に旅立った』と。 本当にラウムを愛して下さった方でした。
 
 土曜歌声の冒頭にこの悲しいお知らせを皆さんにお話ししました。 ファーストソングには、Kさんがリクエストされていた「私の愛した街」を選んで歌い、この日はKさんを偲ぶ歌声サロンとなりました。

 リクエストは「春の日の花と輝く」  原曲はアイルランドの古い民謡「My Lodging It is on the Cold Ground (我が家は冷たき土の上)」で、そのメロディにアイルランドの国民的詩人トーマス・ムーアが、『Believe Me, If All Those Endearing Young Charms』と云うタイトルで歌詞を付けました。 
 いろんな詩が付けられて歌われているそうですが、日本語歌詞は堀内敬三による訳詞が優しい曲調に良く合っています。

 「野に咲く花のように」 ダ・カーポの代表作の1つですが、麗らかな陽射しが感じられる様な曲調で、歌っていると優しい気持ちになれる気がします。

 「北風小僧の寒太郎」  この日は正に北風が吹き荒れる天候でしたが、この曲はユーモラスな歌詞が寒さを感じさせませんね。 『かんたろ〜!』の掛け声は、Mr.Mが様々に声色を変えて受け持ってくれました。

 「春一番」  キャンディーズのヒット曲。 元気に歌って明るい気分になりました。 
『もうすぐ 春ですね〜』と歌っていた通り、この翌週にはいきなりの春がやってきたのですが… 実際に『春一番』が吹くのはもう少し先でしょうね。 

 「虹と雪のバラード」 札幌で冬季オリンピックが開催されたのは1972年ですから、もう53年も前のことになるのですね。 トワ・エ・モアの歌ったこのテーマ曲には、『札幌の地』と歌詞にも入っているので、札幌開催のオリンピックを国民がどんなに喜んでいたのか解ります。 その後も何度か札幌でのオリンピック招致を希望してきたのですが、残念ながら実現していません。 いつかまた『札幌の地』にこの歌が響く日が来ると良いですね。

 「追憶」 スペイン民謡となっていますが、原曲の楽曲は特定されていないようです。 
 アメリカでは、このメロディに「Flee as a bird 」と歌詞が付けられて、讃美歌・聖歌として歌われており、ニューオーリンズでは黒人の葬送の際によく演奏されるそうです。
 日本では、1890年の大和田建樹による「月見れば」、1919年の『惟一倶楽部』名義の「故小妹(こしょうまい)」として発表されていますが、1939年に、明治大学教授の古関吉雄が「追憶」と題して『星影やさしく またたくみ空』で始まる歌詞を発表して後は、これが学校教科書に取り入れられ今日まで歌われてきました。

 「灯台守」  原曲は一般的に『イギリス民謡』とされていますが、典拠は不明のようです。  アメリカの讃美歌「It came upon the Midnight Clear」や、日曜学校で歌われた「The Golden Rule」が原曲であると云う説もあって、いずれもメロディはそっくりだそうです。
 日本では、1889年(明治22年)に出版された『明治唱歌第三集』に、大和田建樹の作詞による「旅泊」として掲載されたのが最初で、続いて1906年(明治39年)に出版された『高等小学校(一ノ下)』に、佐々木信綱の作詞による「助船」として掲載されました。
 1947年(昭和22年) 、文部省発行の教科書『五年生の音楽』に、勝承夫の作詞による「とうだいもり(灯台守)」として掲載されたものが今日歌われている曲です。 小学校で習った歌というものは、いくつになってもスラスラ歌えるものですね。

 『灯台』からの連想で…という訳では無いでしょうが、お次のリクエストは「襟裳岬」
 作詞 岡本おさみ、作曲 吉田拓郎のフォークシンガーの曲を、演歌の森進一が歌ったことで一大センセーションを引き起こしました。 
 『言葉の乗せ方が独特の拓郎節を、森進一がどのように歌うのか?』も話題になったそうですが、拓郎自身は森進一の歌い方に感動して脱帽だったとのことです。  
 叙情フォークは演歌と通じるものがあり、この後、歌謡曲、演歌、アイドルの歌手に楽曲を提供するフォークやニューミュージックのアーティストたちが続々と出てくることになるのです。
 拓郎もこの曲をセルフカバーしていますが、森進一の切々と言葉を紡いでいく歌い方とはまるで違い、軽く淡々と歌っていますが、どちらも甲乙付けがたい味わいがあります。

 「ピクニック」 『丘を越え 行こうよ〜』で始まり、途中いろんな動物たちも出てきて鳴き声も愉快なこの曲、イギリス民謡となっていますが、元はアメリカ黒人民謡「She’ll Be Coming ‘Round the Mountain」と云う曲で、さらにこの曲の起源は黒人霊歌を元に登山家たちが口ずさんでいたものとされています。
 日本語の『ピクニック』は、もとはフランス語『pique-nique』からきていて、その昔、牛飼いや羊飼いが『nique(ささいなもの)』で食事をとるために休憩したことから生まれた言葉のようです。

 「影を慕いて」 古賀政男メロディの美しさが余すところなく出ている名曲です。高音部のファルセットも素晴らしく、リクエスト者のリードで歌いました。

 「坊がつる讃歌」  この曲も当サロンでは人気があって度々リクエストされます。哀切を帯びた旋律はどこか郷愁を誘い、歌っていると懐かしい想いに包まれる様です。
 広島高等師範学校の山岳部第一歌「山男の歌」をベースにしているそうで、どの歌詞にも『山男』の言葉が入っていますが、山男の猛々しさはどこにも感じられず、穏やかな曲調です。

 リクエスト一巡したところで、もう1曲私から紹介させて頂いたのは「糸」 中島みゆき作詞 作曲の名曲ですが、この曲は人と人との出逢い、縁(えにし)を描いています。 
 この歌声サロンで図らずも巡り逢えた皆さんとのご縁を大切に思い…特にこの日はKさんの訃報に接したこともあって、よりいっそうそのご縁に感謝して歌いました。

 ここで前半終了。 

 後半の紹介曲は「PRIDE」  今井美樹のヒット曲で、ドラマ『ドク』の主題歌でした。 作詞 作曲は、後に今井美樹の夫になる布袋寅泰。 いかつい風貌からはとても想像つかない優しく切ないこの曲は、亡きKさんもお気に入りでした。 この日はKさんを思い出しながら、いつも座っていらした席(その日は空いていました)を見ながら歌いました。何となくいつもの席にKさんがいらしていた様な気がしました。

 リクエストは「悲しくてやりきれない」  「イムジン河」が発売自粛となって、それに代わる曲を急遽依頼された加藤和彦が、フジパシフィックの会長室にほぼ軟禁状態の中、2〜30分で作った曲に、サトーハチローが打ち合わせも無く書いた詩がぴったり合って出来上がったのがこの楽曲です。
 
 「さびしいカシの木」  作詞のやなせたかしの生い立ちにも関係している歌詞のようで、やなせたかし自身が『“さびしい” という感情は、私たちの生命の本質に根ざしているのではないだろうか。』と語っています。 そこから彼は『人間の存在は本来 “さびしい” ものなのである』と云う人生観を持っている様に思われます。 
 晩年『さびしいことに なれてしまった』このカシの木は、それでも凛とした孤高の姿を感じさせてくれます。 
 次期の朝ドラ『あんぱん』は、やなせたかしとその妻の物語だそうで、『アンパンマン』を想起させるタイトルです。

 「インシャラー」 この曲は当サロン男性陣の人気曲ですが、元はサルヴァトーレ・アダモが、1966年平和への願いを込めて作った楽曲です。 
『インシャラー』は『それが神の思し召しなら』と云う意味だそうで、イスラム教徒の頻出ワードでもあります。 聖典コーランには、未来の約束をする時には『必ず言うように』と書かれているそうです。 エルサレムの地に真の平和が訪れるのも『神の思し召し』次第なのでしょうか?

 「私の彼は左きき」 1973年リリースの麻丘めぐみのシングルで、彼女の代表曲ですが、ラウム土曜歌声ではおそらくお初リクエストでした。 それでも皆さんよくご存知で、左手をヒラヒラさせながら歌われている方も👋  
 この曲がきっかけで、それまで若干肩身のせまい思いをしていた左利きの人が市民権を得て、左利き用品も多数販売されるようになったそうです。 左利きの人って器用な人多いですよね٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

「友だちはいいもんだ」  リクエスト者の私の同級生にリードしてもらって歌いました。
 知り合った人が全て『友だち』になれるかと言ったら、それは難しいかも知れません。『友だち』の概念も人それぞれ違うでしょうし… でも、『ご縁』のある方とはいつしか『友だち』になっているものだと思います。 

 「さらば恋人」 これも度々リクエストされる曲ですが、反ファシスト党運動においてイタリア・パルチザンによって歌われた歌曲です。 
 20以上の言語で歌われてきて、今日では、圧政から解放されると云う固有の権利を象徴する歌になっています。 
 日本では、東京大学音感合唱研究会の日本語訳で歌詞が作られて、1950〜1960年代には歌声喫茶で歌われました。

 「春の唄」 『ラララ 紅い花束 車に積んで…』で始まる、明るくはずむような曲調のこの歌。 春の訪れを心から喜んでいる気持ちが伝わってきますね💐
  私は春生まれなので、季節の中ではもちろん春が一番好きです。 『花束を積んだ荷車がやって来る時代っていつなんでしょう?』と思い、調べましたら、この曲は1937年(昭和12年)に『国民歌謡』の1つとして発表されたそうです。 柔らかい陽射しまで感じられそうな1曲です。

 「サン・トワ・マミー」 ベルギーの歌手サルヴァトーレ・アダモが1962年に19歳で発表した曲で、日本では岩谷時子の歌詞による、越路吹雪の歌唱でよく知られています。 失恋の歌ですが、ミディアムテンポで軽やかな曲調です。 原曲「Sans toi ma」の意味は、『あなたなしでは』だそうです。

 「しあわせ芝居」  これもおそらく土曜歌声ではお初リクエストと思われます。
 1977年に、中島みゆきが作詞 作曲を手掛け、『花の中3トリオ』の1人 桜田淳子が歌いました。 後に、研ナオコや中島みゆき本人も歌っていますが、淡々と綴られる歌詞には、女性のひとり芝居の雰囲気も感じられ、退廃的で不思議な感覚に陥ります。 
 初めて歌ってみたのですが、後で音源を聴いてみたら、音はうろ覚えでしたし、テンポももう少し速いことが判りました。とても素敵な曲なのでまた歌いたいと思います。

 「千の風になって」  『Kさんを追悼して…』とリクエスト者のお言葉とリードで、皆さん心を込めて歌って下さいました。 

 「街の灯り」 1973年リリースの堺正章のシングルで、伝説的ドラマ『時間ですよ』の挿入歌として使われました。 
 作詞 阿久悠、作曲 浜圭介のヒットメーカーが手掛けて、同年の日本レコード大賞では、作曲賞を受賞しています。  『そばに誰かいないと…』と穏やかに始まる曲ですが、サビでは徐々に盛り上がって『そっといった〜』と歌い上げる緩急に富んだ曲調が素敵です。

 「愛燦燦」  作詞 作曲を小椋佳が担って、美空ひばりが歌い大ヒットしたこの曲も当サロンでは人気曲のひとつです。 
 『味の素』のCMで流されたのですが、最初は美空ひばりの名前がクレジットされていなかったので覆面シンガー扱いだったみたいです。 声質からすぐに判明するのですが、『歌謡界の女王』美空ひばりの歌唱力を改めて示すエピソードになっているそうです。
 太陽の光が降り注ぐ様の『燦燦』を、愛が惜しみなく降り注がれる様に置き換えて「愛燦燦」と表したのではないでしょうか?  『過去達は 優しく睫毛に憩う』などの表現に、小椋佳のワードセンスを感じずにはいられません。 

 この日はしんみりとした曲が多くリクエストされたのですが、最後は元気よく「また逢う日まで」でお開きとしました。 (きっとまた逢える、と信じながら…)

 次回は3月8日。 この日まで冷たい風が吹く寒い日が続くそうで、このところ土曜歌声は嫌がらせのように寒い日に当たっています🥶 
 それでも春を呼び込む気持ちで歌いたいと思います♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
 ご参加を心より願っています。 くれぐれもご無理はなさらない様に! 

神田陽子



 
2025年2月22日土曜日
土曜夜の歌声サロンラウム~ 2月8日のご報告~ 神田陽子

  全国が大寒波にすっぽり覆われ極寒のこの日、名古屋市内も未明から雪が断続的に降っていました❄️❄️

 池辺御大からも開催を心配されているメールを頂きましたが、少人数ながらご予約のお客様がいらっしゃるので開催の方向で心づもりしていました。 
 幸い市内の雪はお昼ごろまでには溶け始めたので、予定通り開催できました♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
 あの寒さの中来て下さった方々には感謝しかありません🙇‍♀️
 
 雪が降ると思い出される歌、その名も「雪」 何のひねりもありませんが、この歌でスタートです。 『犬は喜び 庭駆けまわり…』の歌詞がありますが、我が家の老犬(14歳)も、雪の中でなんだかテンション上がっていました🐕
 『雪や こんこ』の『こんこ』は、『来む 来む』がなまったもので、『雪よ(もっと)降れ降れ』と云う意味だそうです。

 リクエストは雪つながりで「雪山讃歌」  アメリカ民謡「Oh My Darling, Clementine (いとしのクレメンタイン)」のメロディに、京都帝国大学山岳部の西堀榮三郎らが独自の歌詞をつけて、1927年(昭和2年)に群馬県の嬬恋村で誕生したそうですが、この歌のために作られたような旋律は覚えやすくて、誰もが知っている日本の唱歌となっています。

 ユーミン「やさしさに包まれたなら」 八神純子「水色の雨」の人気曲を2曲歌いましたが、どちらも度々リクエストされるので皆さん良くご存知です。

 「冬の夜(よ)」 文部省唱歌として明治45年に『尋常小学唱歌(第3学年用)』に初出。 作詞 作曲は不詳です。 
 2番の歌詞『過ぎし戦の想い出語る』は、元は『過ぎし戦の手柄を語る』だったそうで、父親の語る自慢話に子供たちも奮い立ち『こぶしを握る』となるのでしょう。 
 家の中は『囲炉裏火はとろとろ』と暖かく、『外は吹雪』と、外の寒さとの対比が素晴らしいです。

 「白い想い出」 山崎 唯(ただし) 作詞 作曲のこれも雪の歌ですが、寒くて冷たい雪ではなくて、何とも言えず温かい気持ちにさせてくれる雪の歌です。 
 優しい曲調のこの歌をダーク・ダックスを初め、多くの歌手がカバーしていますが、鮫島由美子バージョンは、美しい声でクラシカルに聴かせます。

 「サザエさん」 日曜日の夜の定番となって55年。 ギネス世界記録にもなっている国民的アニメ『サザエさん』のテーマソングで、おそらく知らない人はいないと思われる1曲です。 
 アニメの声優さん達もずいぶん変わってしまいましたが、主役はずっと加藤みどりさんのままなのも人気の理由でしょう。 どうしても初めて聞いた『声』でキャラクターのイメージが決まってしまうので、『声』って大事ですね。
 珍しいリクエストでしたが、愉快に楽しく歌って盛り上がりました。

 アニソン続きで「ドラえもんのうた」 『こんなこといいな できたらいいな』で始まるお馴染みの歌ですが、1979年にアニメ『ドラえもん』のオープニングテーマとして作られました。 
 2000年の映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』では、この歌をウィーン少年合唱団が天使の歌声で歌っていますが、編曲監修とピアノ演奏は羽田健太郎さん、ドラえもんの台詞は大山のぶ代さんが担っています。 
 このアニメも声優さんが変わっていますが、あの独特な『ぼく、ドラえもん』は、やっぱり大山のぶ代さんでなきゃ、と思うのは私だけでは無いでしょう。

 「フルーツサラダのうた」 『フルーツサラダ ジョリ ジョリ ジョリ…』 日本語で歌うと何か変な感じの『ジョリ ジョリ ジョリ』  『ジョリ』は『Jolie』で、フランス語で『可愛い、素敵な』と云う意味で、原曲のシャンソンでは、『フルーツサラダちゃん』と云う女の子の名前(あだ名?) だそうです。 
 この歌の後、『昔母の作るポテトサラダにはりんごが入っていて美味しかったけれど、我が家の子供たちには不評だった』と言ったところ、ポテサラにりんごを入れるのに多くの賛同を得て、溜飲を下げた私です( ◠‿◠ )

 古いタイプの母親を歌った、さだまさしの「無縁坂」をしみじみと、 ラウム歌集の数少ない演歌、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」をピアニストのダイナミックなアレンジで歌いました。 

 「太陽がくれた季節」 久しぶりのリクエストでしたが、335歌集の人気曲です。 
1972年リリースの『青い三角定規』のヒット曲で、ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌でした。 特徴的なイントロで始まるこの曲は、軽快なテンポではち切れんばかりの若さ溢れる曲です。 
 村野武範が熱血教師を演じたこのドラマの合言葉『Let’s begin ! 』も流行りました。

 ここで小休止。 少数精鋭の日はおしゃべりタイムもゆっくり取れるので、皆さん楽しく歓談されていました(๑>◡<๑)

 後半は「酒と泪と男と女」でリスタート。 この曲は48歳で急逝した河島英五のヒット曲で、彼の男っぽい骨太の歌い方が特徴的ですが、当サロンでは、ピアニストのアレンジがゆったりと優しい曲調になっているので、しっとり歌いました。 切々と語りかける様な歌詞は、どのように歌っても心に沁みます。

 リクエストは「別れの朝」  ペドロ&カプリシャスのデビュー曲で、初代ボーカルの前野曜子が歌いヒットしました。 原曲はオーストリアの歌手ウド・ユルゲンス作曲の「Was Ich Dir Sagen Will (君に伝えたいこと)」で、日本語歌詞は なかにし礼が書いていますが、内容はかなり違うみたいです。 甘いメロディに、切ない別れの歌詞がよくマッチしています。

 「世界に一つだけの花」  ファンならずとも誰もがかすかな望みを持っていたと思われるSMAPの再結成は儚い夢と散ってしまい、この歌を彼らが歌うことはもうありませんが、『No.1にならなくてもいい もともと特別な only one』の名フレーズで始まるこの名曲は、街角の歌声サロンでも未来永劫歌い継いでいきたいですね🌺

 「ひょっこりひょうたん島」 同名の人形劇番組の主題歌です。 小学生だった私はこの番組が大好きでした。 島が海を漂って行くシュールな発想に何の疑問も持たず、ただ毎日ワクワクしながらテレビの前に座っていたものでした。 このブログを書き始めていろいろ調べている内に、この物語には深刻な裏設定のような物もあると知りました。 けれど、やはり子どもたちを中心に繰り広げられる、ドタバタ冒険譚、心温まるストーリーで良いのだと思います。 
 『泣くのはいやだ 笑っちゃお』と前向きな歌詞に相応しい、愉快で楽しい曲です🏝️

 「 Believe 」 NHK 『生きもの地球紀行』の3代目エンディングテーマとして、1998年に発表されました。 作詞 作曲は杉本竜一氏で、この番組の他のテーマ曲も一手に担っています。 
 この曲は合唱曲として、卒園式・卒業式の歌として長く歌われています。娘も小学5年生の時に合唱でこの歌を歌っていましたが、ちょうど私のもとで英語を習い始めた頃で、『I believe in future …』のところでは、『fやvはつい唇を噛んじゃう』と生意気なことを言っていたのを思い出します(*^^*) 歌詞もメロディも全体的に優しさに満ちている1曲です。

 「私の城下町」 小柳ルミ子のデビューシングルで、1971年度のオリコン年間シングルチャート1位となり、その年の『日本レコード大賞・最優秀新人賞』を受賞しています。
 この『城下町』が何処なのか? と云う問いに、作曲の平尾昌晃氏は『諏訪高島城と上諏訪の街をイメージした』と語っています。
 同時代にデビューした天地真理、南沙織と『新三人娘』と称されましたが、三人三様のアイドルでしたね。 

 「恋のフーガ」  ザ・ピーナッツの1967年発表の楽曲で、「恋のオフェリア」「恋のロンド」などの『恋』シリーズの一つでした。
 作詞 なかにし礼、作曲 すぎやまこういち 両名のヒットメーカーが作っていますが、特筆すべきはそのアレンジで、編曲を担当したのは宮川泰でした。 『フーガ』のイメージでは上手くいかず、思い切って『少し怖い感じ』にしたとのことです。 オリジナルではイントロにティンパニーを使用して歯切れの良い音を演出しています。 
 ピーナッツの独特なハーモニーが素敵なこの曲。 この日はハモリ姫が不在でしたので、いたらきっと素敵にハモってくれたでしょう。

 「さらば涙と言おう」  『飛び出せ青春』とほぼ同時期に放映していた青春ドラマ『おれは男だ』の主題歌で、主演の森田健作が剣道着姿で海辺を走るオープニングで流れていました。 この頃の青春モノには海辺を走ったり、夕陽に向かって叫んだりするシーンが付きものでしたね(๑>◡<๑) (余談ですが、森田健作ファンの友だちに付き合って高校の剣道部の見学に行って、一緒に入部してしまったのは…私です(//∇//)

 「星のフラメンコ」 1966年にリリースされた西郷輝彦のシングル。 その年ヨーロッパ旅行をした西郷は、スペインのマドリードで鑑賞したフラメンコにいたく感動し、帰国後浜口庫之助を訪問した際に、その感動を熱く語ったそうです。 浜口庫之助も西郷の新曲準備に入っていたこともあり、新曲はフラメンコのリズムで制作することに意見が一致したといいます。 独特のリズムに手拍子も入って、情熱的な歌で盛り上がりました。

 「オリビアを聴きながら」  1978年の杏里のデビュー曲で、作詞 作曲はシンガーソングライターの尾崎亜美。 杏里の楽曲を担当することになり、雑談の中で『杏里がオリビア・ニュートンジョンが好き』と云うことが判り、この歌が生まれたそうです。 発売当時は目立ったヒットにはならなかったのですが、尾崎亜美自身を初め、多くの歌手にカバーされて、今や日本のスタンダード・ナンバーの1つになっています。 
 サビの英語のフレーズ『making good things better」は、オリビアが1977年に発表した楽曲「MAKING A GOOD THING BETTER」に由来しています。

 「ひとりじゃないの」 1972年発売の、天地真理の3枚目のシングルで、彼女の最大のヒット曲になっています。 満面の笑顔で歌うイメージの『真理ちゃん』の、アイドルとしての地位が確立された曲でしょう。 あの頃の男子中高生は、みんな天地真理に夢中でしたね🥰

 ラストリクエストは「エーデルワイス」 ミュージカル映画の傑作『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中歌です。 祖国を追われる哀しさを、祖国の花である『エーデルワイス』に託して歌っているのはトラップ大佐。 優しく切ない歌声が胸に迫るシーンです。
 ラウムのトラップ大佐、Mr.Mのリードで、英語と日本語で歌いました。

 本日のラストソングは、私が先日ある会社の新年会に参加した折、ゲストで来ていた『ダ・カーポ』の歌より、「宗谷岬」と「野に咲く花のように」の2曲を続けて歌いました。
 『ダ・カーポ』は本来ご夫婦デュオですが、その日はお母さんとフルート奏者のお嬢さんの『母娘』でのパフォーマンスでした。 合間に交わされる会話には、ふつうの親子の日常が現れていて共感すること多々ありでした。

 次回は、2月22日。 2のゾロ目です。 今年は1月11日に歌い初めでしたので、ゾロ目続きで何となく嬉しくなります( ◠‿◠ ) が…またまた本日なのです。 そしてこれもまた前回に引き続き大寒波襲来と重なってしまいましたʕʘ‿ʘʔ 雪の心配は無さそうですが、お越し頂く皆さま、くれぐれも寒さ対策万全でいらして下さいね。 よろしくお願い致します🙇‍♀️

                                神田陽子



 
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